まつしまにおいてばしょうおうをよむ |
松島に於て芭蕉翁を読む |
冒頭文
余が松島に入りたるは、四月十日の夜なりき。「奥の細道」に記する所を見れば松尾桃青翁が松島に入りたる、明治と元禄との差別こそあれ、同じく四月十日の午(うま)の刻近くなりしとなり。余が此の北奥の洞庭西湖に軽鞋(けいあい)を踏入れし時は、風すさび樹鳴り物凄き心地せられて、仲々に外面(そとも)に出でゝ島の夜景を眺むべき様もなかりき。然(しか)れどもわれ既に扶桑衆美の勝地にあり。わが遊魂いかでか飄乎(へうこ
文字遣い
新字旧仮名
初出
「女學雜誌 三一四號」女學雜誌社、1892(明治25)年4月23日
底本
- 現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集
- 筑摩書房
- 1969(昭和44)年6月5日