私が永年の欧洲留学を終えて帰朝したのは、たしか一九一〇年であった。 当時、わが洋画界は白馬会の全盛時代であって、白馬会に非ざるものは人に非ずの概があった。しかし、旧套墨守(きゅうとうぼくしゅ)のそうしたアカデミックな風潮に対抗して、当時徐々に新気運は動きつつあった。その頃、有島生馬、南薫造の諸氏も欧洲から帰朝したばかりで烈々たる革新の意気に燃えていた。 私が神田の小川町に琅玕洞