おくのうみ
奥の海

冒頭文

京都所司代、御式方(おしきかた)頭取、阪田出雲の下役に堀金十郎という渡り祐筆がいた。 御儒者衆、堀玄昌の三男で、江戸にいればやすやすと御番入(ごばんいり)もできる御家人並の身分だが、のどかすぎる気質なので、荒けた東(あずま)の風が肌にあわない。江戸を離れて上方へ流れだし、なんということもなく、京都に住みついてしまった。 筆なめピンコともいう、渡り祐筆の給金は三両一人扶持。これが

文字遣い

新字新仮名

初出

「別冊週刊朝日」1956(昭和31)年4月

底本

  • 久生十蘭全集 Ⅱ
  • 三一書房
  • 1970(昭和45)年1月31日