じゅうきちひょうりゅうきぶん
重吉漂流紀聞

冒頭文

名古屋納屋町小島屋庄右衛門の身内に半田村の重吉という楫取(かじとり)がいた。尾張知多郡の百姓だったのが、好きで船乗りになり、水夫から帆係、それから水先頭と段々に仕上げ、二十歳前で楫場に立った。文化十年、重吉が二十四歳の秋、尾張藩の御廻米を運漕する千二百石積の督乗丸で江戸へ上ったが、船頭と五人の水夫が時疫にかかって陸に残り、重吉が仮船頭をうけたまわって名古屋まで船を返すことになった。 和船も千二

文字遣い

新字新仮名

初出

「小説公園」1952(昭和27)年1月号

底本

  • 久生十蘭全集 Ⅱ
  • 三一書房
  • 1970(昭和45)年1月31日