ボニンとうものがたり |
| ボニン島物語 |
冒頭文
天保八年十二月の末、大手前にほど近い桜田門外で、笑うに耐えた忍傷沙汰があった。盛岡二十万石、南部信濃守利済(としただ)の御先手物頭、田中久太夫という士が、節季払いの駕籠訴訟にきた手代の無礼を怒って、摺箔の竹光で斬りつけたという一件である。 奥州南部領は、元禄以来、たびたび凶荒に見舞われ、天明三年の大飢饉には、収穫皆無で種方(たねかた)もなく、三十万の領民の四分の一以上が餓死するなどということが
文字遣い
新字新仮名
初出
「文藝春秋」1954(昭和29)年10月号
底本
- 久生十蘭全集 Ⅱ
- 三一書房
- 1970(昭和45)年1月31日