明治二十二三年比のことであった。詩人啄木の碑(ひ)で知られている函館の立待岬(たてまちざき)から、某夜(あるよ)二人の男女が投身した。男は山下忠助と云う海産問屋の公子(わかだんな)で、女はもと函館の花柳界(かりゅうかい)で知られていた水野米(よね)と云う常磐津(ときわず)の師匠であった。 男の死体はその翌日になって発見せられたが、女の死体はあがらなかった。あがらないのは女は死なないで逃げ