かわをさかのぼりて
川を遡りて

冒頭文

私たちは、その村で一軒の農家を借りうけ、そして裏山の櫟林の中腹にテントを張り、どちらが母屋であるか差別のつかぬ如き出放題な原始生活を送つてゐた。 或朝テントの中の食堂で、不図炊事係りの私の妻が気附くと、パンが辛うじて、その一食に足りる程度しか無かつた! のを発見して、叫んだ。 「正ちやん——あたし、うつかりしてゐたのよ。済まないけれど、お午までに町まで行つて兵糧を仕入れて来て呉れない。」

文字遣い

新字旧仮名

初出

「若草 第六巻七号」宝文館、1930(昭和5)年7月1日

底本

  • 牧野信一全集第四巻
  • 筑摩書房
  • 2002(平成14)年6月20日