あたみせんしご
熱海線私語

冒頭文

一 一九三四年、秋——伊豆、丹那トンネルが開通して、それまでの「熱海線」といふ名称が抹殺された。そして「富士」「つばめ」「さくら」などの特急列車が快速力をあげて、私達の思ひ出を、同時に抹殺した。帝国鉄道全図の上から見るならば、僅々十哩? 程度の距離であるが、生れて四十年、東京と小田原、小田原と熱海の他は滅多に汽車の旅を知らぬ蛙のやうな私たちにとつては、憶ひ出の夢は全図の旅の夢よりも深く長かつた。

文字遣い

新字旧仮名

初出

「日本評論」1935(昭和10)年12月

底本

  • 牧野信一全集第六巻
  • 筑摩書房
  • 2003(平成15)年5月10日