チロルのこじょうにて
チロルの古城にて

冒頭文

ベルサイユの講和条約に、国境劃定委員会が出来て、その一分科である墺伊両国間の国境劃定に日本からも委員を出すことゝなつて服部兵次郎少将(当時中佐)が任命され、私は通訳として随行した。少々古い話だが——。 墺伊の国境にはチロルといふローマ時代の伝統をそのまゝ保存してゐる歴史的の小国がある。こゝは谷あひの、景勝の地を占め、いかにも平和な気の靉靆たる所で、欧洲人の避暑地、避寒地となつてゐる。私が

文字遣い

新字旧仮名

初出

「時事新報」1935(昭和10)年3月15日

底本

  • 岸田國士全集22
  • 岩波書店
  • 1990(平成2)年10月8日