「ありあけしゅう」ぜんご
「有明集」前後

冒頭文

明治三十八年に「春鳥集」を出したときには、多少の自信もあり自負もあつた。わたくしのやうな氣弱なものも詩作上思ひきつて因襲に反撥を試みたのである。あの稚拙な自序を卷頭に置いたのもその爲で、少しきおつたところが見えて落ちつかぬが、それも致しかたない。 さて象徴詩がどういふ筋道を通つてわが詩壇に導かれたかは、今こゝに述べにくい。それは別に研究を要すべきことである。然し思つたよりも早い時代に始ま

文字遣い

旧字旧仮名

初出

「日本現代詩研究 『現代詩講座』四」金星堂、1929(昭和4)年10月15日

底本

  • 日本現代文學全集 22 土井晩翠・薄田泣菫・蒲原有明・伊良子清白・横瀬夜雨 集
  • 講談社
  • 1968(昭和43)年5月19日