がんしゅうもうはいのへい |
頑執妄排の弊 |
冒頭文
宇宙を観察するの途(みち)二あり、一は宇宙を「死躰」として観(み)るにあり、他は宇宙を「生躰」として観るにあり、人生を観察するの途二あり、一は人生を今世に限られたるものとして観るにあり、他は人生を未来に亘るものとして観るにあり。爰(こゝ)に於て吾人は知る、人間世に処するの途は、現在に希望を置くと、未来に希望を置くとの二岐に分るゝあるのみ。更に去つて歴史を観るに、盛衰興亡の端多く、一去一来の跡空しき
文字遣い
新字旧仮名
初出
「文學界 五號」文學界雜誌社、1893(明治26)年5月31日
底本
- 現代日本文學大系 6 北村透谷・山路愛山集
- 筑摩書房
- 1969(昭和44)年6月5日