パリまで
巴里まで

冒頭文

浦潮斯徳(ウラジホストツク)を出た水曜日の列車は一つの貨車と食堂と三つの客車とで成立つて居た。私の乘つたのは最後の車で、二人詰の端の室であるから幅は五尺足らずであつた。乘合の客はない。硝子(ガラス)窓が二つ附いて居る。浦潮斯徳に駐在して居る東京朝日新聞社の通信員八十島氏(やそじまし)から贈られた果物の籠、リモナアデの壜(びん)、壽司の箱、こんな物が室の一隅に置いてあつた。手荷物は高い高い上の金網の

文字遣い

旧字旧仮名

初出

底本

  • 定本 與謝野晶子全集 第二十卷 評論感想集七
  • 講談社
  • 1981(昭和56)年4月10日