どうほう
同胞

冒頭文

恒夫は四歳の時父に死なれて、祖父母と母とだけの家庭に、独り子として大事に育てられてきた。そして、祖父から甘い砂糖菓子を分けて貰い、祖母から古い御伽話や怪談を聞き、母の乳首を指先でひねくることの出来るうちは、別に何とも思わなかったが、小学校から中学校へ進んで、それらのことがいつしか止み、顔に一つ二つ面皰(にきび)が出来、独り勝手な空想に耽る頃になると、兄弟も姉妹もないことが、甘い淋しさで考えられた。

文字遣い

新字新仮名

初出

「中央公論」1924(大正13)年4月

底本

  • 豊島与志雄著作集 第二巻(小説Ⅱ)
  • 未来社
  • 1965(昭和40)年12月15日