あるおとこのしゅき
或る男の手記

冒頭文

もう準備はすっかり整っている。準備と云っても、新らしい剃刀(かみそり)と石鹸と六尺の褌とだけだ。それが、鍵の掛った書棚の抽出の中にはいっている。私としては、愈々やれるかどうか、それを試してみるだけのことだ。然しその前に、一切のことを書き誌してみたい——と云うより寧ろ、文字というはっきりした形で考えてみたい。馬鹿げた欲求だということは分っているが、そうにでもしなければ、何かしら心に落着(おさまり)が

文字遣い

新字新仮名

初出

「中央公論」1924(大正13)年1月

底本

  • 豊島与志雄著作集 第二巻(小説Ⅱ)
  • 未来社
  • 1965(昭和40)年12月15日