なつ

冒頭文

一 デパートの夏の午後 街路のアスファルトの表面の温度が華氏の百度を越すような日の午後に大百貨店の中を歩いていると、私はドビュシーの「フォーヌの午後」を思いだす。一面に陳列された商品がさき盛った野の花のように見え、天井に回るファンの羽ばたきとうなりが蜜蜂を思わせ、行交(ゆきか)う人々が鹿のように鳥のようにまたニンフのように思われてくるのである。あらゆる人間的なるものが、暑さのために蒸発してし

文字遣い

新字新仮名

初出

「大阪朝日新聞」1929(昭和4)年7月

底本

  • 寺田寅彦全集 第三巻
  • 岩波書店
  • 1997(平成9)年2月5日