少年(こども)の歡喜(よろこび)が詩であるならば、少年の悲哀(かなしみ)も亦(ま)た詩である。自然の心に宿る歡喜にして若(も)し歌ふべくんば、自然の心にさゝやく悲哀も亦(ま)た歌ふべきであらう。 兎(と)も角(かく)、僕は僕の少年の時の悲哀の一ツを語つて見やうと思ふのである。(と一人の男が話しだした。) * * * 僕は八歳(やつつ)の時から十五の時ま