冒頭文

石太郎(いしたろう)が屁(へ)の名人であるのは、浄光院(じょうこういん)の是信(ぜしん)さんに教えてもらうからだと、みんながいっていた。春吉(はるきち)君は、そうかもしれないと思った。石太郎の家は、浄光院のすぐ西にあったからである。 なにしろ是信さんは、おしもおされもせぬ屁(へ)こきである。いろいろな話が、是信さんの屁について、おとなたちや子どもたちのあいだに伝えられている。是信さんは、

文字遣い

新字新仮名

初出

「哈爾賓日日新聞」1940(昭和15)年3月23日~3月30日

底本

  • 牛をつないだ椿の木
  • 角川文庫、角川書店
  • 1968(昭和43)年2月20日