しなこてんがくのけんきゅうほうにつきて
支那古典学の研究法に就きて

冒頭文

支那を解釋するには、支那人が是迄積み上げた事業と云ふ者を十分に研究して見なければならぬ。其の事業は一口に言へば文化であるが、その中には、政治もあれば、文學もあり、藝術もあり、乃至は土工の遺物もあつて、迚も一人の力の窮め得べからざる所であるが、予は其の立場として、支那民族發展の跡を繹ねて、その文化を刔剔し、之を理解する爲めの古典學研究について、茲に自己の經驗から得た方法を説明して見ようと思ふ。

文字遣い

旧字旧仮名

初出

「東方時論」1917(大正6)年2月発行、第二巻第二号

底本

  • 内藤湖南全集 第七巻
  • 筑摩書房
  • 1970(昭和45)年2月25日