だれもしらぬ
誰も知らぬ

冒頭文

誰も知ってはいないのですが、——と四十一歳の安井夫人は少し笑って物語る。——可笑(おか)しなことがございました。私が二十三歳の春のことでありますから、もう、かれこれ二十年も昔の話でございます。大震災のちょっと前のことでございました。あの頃も、今も、牛込のこの辺は、あまり変って居りませぬ。おもて通りが少し広くなって、私の家の庭も半分ほど削り取られて道路にされてしまいました。池があったのですが、それも

文字遣い

新字新仮名

初出

「若草」1940(昭和15)年4月

底本

  • 太宰治全集3
  • ちくま文庫、筑摩書房
  • 1988(昭和63)年10月25日