或春の午後であつた。私(わたし)は知人の田崎(たざき)に面会する為に彼が勤めてゐる出版書肆(しよし)の狭い応接室の椅子(いす)に倚(よ)つてゐた。 「やあ、珍しいな。」 間(ま)もなく田崎は忙(いそが)しさうに、万年筆を耳に挟(はさ)んだ儘、如何(いかが)はしい背広姿を現した。 「ちと君に頼みたい事があつてね、——実は二三日保養旁(かたがた)、修善寺(しゆぜんじ)か湯河原(ゆがは