ちちをうしなうはなし
父を失う話

冒頭文

こないだの朝、私が眼をさますと、枕もとの鏡付の洗面台で、父は久しい間に蓄えた髭を剃り落としていた。そよ風が窓から窓帷(カーテン)をゆすって流れ込んで、そして新鮮な朝日のかげは青々と鏡の中の父の顔に漲っていた。 おもてで小鳥が啼いた。 「お父さん、いいお天気だね。」と私は父へ呼びかけた。 「上天気だ! 早くお起き。今日はお父さんが港へ船を見物に連れて行つてやる。」と父は髭の最後の部

文字遣い

新字新仮名

初出

底本

  • アンドロギュノスの裔
  • 薔薇十字社
  • 1970(昭和45)年9月1日