りょしゅう
旅愁

冒頭文

家を取り壊した庭の中に、白い花をつけた杏の樹がただ一本立っている。復活祭の近づいた春寒い風が河岸から吹く度びに枝枝が慄えつつ弁を落していく。パッシイからセーヌ河を登って来た蒸気船が、芽を吹き立てたプラターンの幹の間から物憂げな汽缶の音を響かせて来る。城砦のような厚い石の欄壁に肘をついて、さきから河の水面を見降ろしていた久慈は石の冷たさに手首に鳥肌が立って来た。 下の水際の敷石の間から草が

文字遣い

新字新仮名

初出

底本

  • 旅愁 下
  • 講談社文芸文庫、講談社
  • 1998(平成10)年12月10日