孔雪笠(こうせつりゅう)は、孔子の子孫であった。人となりが風流で詩がうまかった。同じ先生に就いて学んでいた気のあった友達があって天台県の令となっていたが、それが手紙をよこして、来いと言ってきたので、はるばる往ったところで、おりもおりその友達の県令が亡くなった。孔生は旅費がないので帰ることもできず、菩陀寺(ぼだじ)という寺へ往って、そこの僧に傭われて書き物をした。 その寺の西の方四百余歩の