馮大異(ひょうたいい)は上蔡(じょうさい)の東門にある自分の僑居(すまい)から近村へ往っていた。ちょうど元の順帝の至元丁丑(しげんていちゅう)の年のことで、恐ろしい兵乱があった後の郊外は、見るから荒涼を極めて、耕耘(こううん)する者のない田圃はもとの野となって、黄沙と雑草が斑(まだ)ら縞を織っていた。兵燹(へいせん)のために焼かれた村落の路には、礎(いしずえ)らしい石が草の中に散らばり、片側が焦げ