わたしのちち
私の父

冒頭文

私の覚えている父は既に五十であった。髪の毛などは既にやや薄くなっていたように思う。「何さよ気分に変りは無いのじゃがなア」などと、若やいだようなことを言うていることもあったが、何しろ私の目には既に老人であった。名は堺得司(とくじ)。 父の顔にはかなり多く疱瘡(ほうそう)の跡があった。いわゆるジャモクエであった。しかしその顔立ちは尋常で、むしろ品のよい方であった。体格は小柄で、しかも痩せぎす

文字遣い

新字新仮名

初出

底本

  • 日本の名随筆49 父
  • 作品社
  • 1986(昭和61)年11月25日