今を距(さ)ること三十余年も前の事であった。 今において回顧すれば、その頃の自分は十二分の幸福というほどではなくとも、少くも安康(あんこう)の生活に浸(ひた)って、朝夕(ちょうせき)を心にかかる雲もなくすがすがしく送っていたのであった。 心身共(とも)に生気に充ちていたのであったから、毎日〻〻の朝を、まだ薄靄(うすもや)が村の田の面(も)や畔(くろ)の樹(き)の梢(こずえ)を籠