戦前の形勢 再度の長州征伐に失敗して、徳川幕府の無勢力が、完全に暴露された。この時既に長州は薩摩と連合して討幕の計画を廻らしていた。 温健派の山内容堂は、幕府の命運既に尽きたるを察して、幕府をしてその終りを全うせしむる意味で、大政奉還の止むなき所以(ゆえん)を説いた建白書を、慶喜に呈した。当時在京中の慶喜悟る所あり、十月十三日在京の諸大名群臣を二条城に集めて諮問したる上、翌十四日朝