へきていかんのたたかい
碧蹄館の戦

冒頭文

鶏林八道蹂躙之事 対馬の宗義智(そうよしとも)が、いやがる朝鮮の使者を無理に勧説(かんぜい)して連れて来たのは天正十八年七月である。折柄(おりから)秀吉は関東奥羽へ東征中で、聚楽(じゅらく)の第に会見したのは十一月七日である。この使が帰国しての報告の中に、秀吉の容貌矮陋(わいろう)面色黧黒(れいこく)、眼光人を射るとある。朝鮮人が見ても、猿らしく見えたのである。又曰く、「宴後秀吉小児を抱いて

文字遣い

新字新仮名

初出

底本

  • 日本合戦譚
  • 文春文庫、文芸春秋
  • 1987(昭和62)年2月10日