しずがたけのかっせん
賤ヶ岳合戦

冒頭文

清洲会議之事 天正十年六月十八日、尾州清洲(きよす)の植原次郎右衛門が大広間に於て、織田家の宿将相集り、主家の跡目に就いて、大評定を開いた。これが有名な清洲会議である。 この年の六月二日、京都本能寺に在った右大臣信長は、家臣惟任(これとう)日向守光秀の反逆に依って倒れ、その長子三位(さんみ)中将信忠も亦、二条の城に於て、父と運命を共にした。当時、織田の長臣柴田修理亮(しゅりのすけ)

文字遣い

新字新仮名

初出

底本

  • 日本合戦譚
  • 文春文庫、文芸春秋
  • 1987(昭和62)年2月10日