信長の崛起 天文十八年三月のこと、相遠参三ヶ国の大名であった今川氏を始めとし四方の豪族に対抗して、尾張の国に織田氏あることを知らしめた信秀が年四十二をもって死んだ。信秀死する三年前に古渡(こわたり)城で元服して幼名吉法師を改めた三郎信長は、直(ただち)に父の跡を継いで上総介と号した。 信秀の法事が那古野(なこの)は万松寺に営まれた時の事である。重臣始めきらびやかに居並んで居る処に、