陶晴賢(すえはるかた)が主君大内義隆を殺した遠因は、義隆が相良遠江守武任(さがらとおとうみのかみたけとう)を寵遇(ちょうぐう)したからである。相良は筑前の人間で義隆に仕えたが、才智人に越え、其の信任、大内譜代の老臣陶、杉、内藤等に越えたので、陶は不快に感じて遂に義隆に反して、天文十九年義隆を殺したのだ。 此の事変の時の毛利元就の態度は頗(すこぶ)る暖昧であった。陶の方からも義隆の方からも