むかしから鰻の怪を説いたものは多い。これは彼の曲亭馬琴の筆記に拠つたもので、その話をして聴かせた人は決して嘘をつくやうな人物でないと、馬琴は保証してゐる。 その話はかうである。 上野の輪王寺宮に仕へてゐる儒者に、鈴木一郎といふ人があつた。名乗りは秀実、雅号は有年といつて、文学の素養もふかく、馬琴とも親しく交際してゐた。 天保三、壬辰年の十一月十三日の夜である。馬琴は知