のうじょうかいほうてんまつ
農場開放顛末

冒頭文

小樽函館間の鉄道沿線の比羅夫駅の一つ手前に狩太といふのがある。それの東々北には蝦夷富士がありその裾を尻別の美河が流れてゐるが、その川に沿うた高台が私の狩太農場であります。この農場は、私の父が子供の可愛さから子供の内に世の中の廃りものが出来たときにその農場にゆけば食ひはぐれることはあるまいといふ考へからつくつたものであります。その当時この北海道の土地は財産を投じて経営する大規模の農場には五百町歩まで

文字遣い

新字旧仮名

初出

底本

  • 日本の名随筆 別巻96 大正
  • 作品社
  • 1999(平成11)年2月25日