かんざんじっとく
寒山拾得

冒頭文

唐(とう)の貞観(じょうがん)のころだというから、西洋は七世紀の初め日本は年号というもののやっと出来かかったときである。閭丘胤(りょきゅういん)という官吏がいたそうである。もっともそんな人はいなかったらしいと言う人もある。なぜかと言うと、閭は台州の主簿になっていたと言い伝えられているのに、新旧の唐書に伝が見えない。主簿といえば、刺史(しし)とか太守とかいうと同じ官である。支那全国が道に分れ、道が州

文字遣い

新字新仮名

初出

底本

  • 日本の文学 3 森鴎外(二)
  • 中央公論社
  • 1967(昭和42)年2月4日