一 鳥羽伏見の戦で、讃岐(さぬき)高松藩は、もろくも朝敵の汚名を取ってしまった。 祖先が、水戸黄門光圀の兄の頼重(よりしげ)で、光圀が後年伯夷叔斉(はくいしゅくせい)の伝を読み、兄を越えて家を継いだことを後悔し、頼重の子綱条(つなえだ)を養って子とし、自分の子鶴松を高松に送って、嗣子たらしめた。 だから、高松藩は、徳川宗家にとっては御三家に次ぐ親しい間柄である。従って、維